etoile23

日々の雑記。

創作における自己の姿勢

今日は何をしようかと思い、買い物から帰ってきて少し疲れてねむったらもう1日が終わった。
外に出るのはまだ自分が思っている以上に体力が持っていかれているのだな改めて実感させられた。

最近、自分の創作についていろいろ考えている。というか、考えさせられている。

昨夜、久しぶりに"だから僕は音楽を辞めた"の特典であった、エルマへの手紙を読んでいた。
そのうちの一通の手紙である、「5/29」の手紙に書かれていた「評価や名声や、お金や権力なんてどうでも良い筈なんだ。」の一文に目を奪われてしばらく呼吸ができなかった。

「それなら売れないなりに割り切れば良かった。何か仕事を見つけて、生活の合間にものを書いて、苦し紛れでも幸せを見つけなければいけなかった。僕の音楽への在り方は、間違いだ。」の文が最近の自分に言われているようで息が詰まったし、たしかにそうであるべきなんだろうな、と思った。

「でも、もし仮にそうだったとして、僕のしてきた生き方が少しも正解に掠らないものだったとして、」「それじゃあ、あんまりにも不毛じゃないか。こうまでして生きてきた僕たちが、あまりにも報われないじゃないか。」との文章で泣きそうになってしまった。その通りなので。報われたくてやってきたことじゃないのに、いつの間にかそう思ってしまったことがあったので。でも、なにかをしている以上、いつか「報われたい」と思うのはそんなに不思議なことなのかと。書いてて泣きそうになってきたな。

読んでて思ったんだけど、ナブナさんの作品は"作品"と"お金"に関するテーマがちらほらあるな、と思ってナブナさん自身も悩まれたことがあるのかなと思った。「夢を叶えるにもお金がいる」と言っていたのは始発とカフカだし、「君のために描いた絵はいつからだろう ただのお金になっていく」は無人駅。パッと思いついたのがこの2曲だけだったんだけどまだあるのかもね。

たまたま支部のホームに出てきたコラムを読んだ。"いつも見てくれていた人がジャンルを去った。"という内容で何の気なしに見ていると

「たかが一人の顔色を伺って描くのが不健全というなら、母親に褒められたくて絵を描いた幼児に「もっと大勢に向けて描け」と猛ビンタをかまさなければいけません。」

と書かれている文に目を奪われた。私は誰かのために絵を描いている訳ではないけれど、反応を頂けるとうれしい。だけど最近は自分のたのしさよりも他人からの評価の方が気になってしまい、息苦しくなっていたので、この文章に書かれている言葉がストン、と胸に落ちてきて。そっか、評価を気にする事は別に悪いことでは無いのか、と。まぁ、でも気にせずたのしく描けるのが私の理想ではあるんだけど。あんま気負わずいきたいね。

5/29にも、コラムにも「ヘンリー・ダーガー」という表現者が出てきて、タイミングというか運命的なものを感じたので調べたのだけど、この方すごいね...自分は絶対にこの人のような表現はできないな...と思った。だって上手に描けたなら見てほしいもん。

はぁ〜!思いつくまま書き連ねて、少しは頭がクリアになった。ここ数日、思っている気持ちや言葉で頭がいっぱいだったので。評価を気にするのも間違いじゃないし、仕方ないとは思うけど、そっちにばっかり気持ちが向かってしまうなら、しばらくは自分のために描く期間にしてもいいかもね。あの期間何気たのしいんよな。でも、昨日ぽいぴくでスタンプいっぱいくださった方がいて、めちゃくちゃうれしかったね。あの気持ちを大事に持っていこうと思った。
snsに載せるなとは思わないし、載せる場所は選んでもいいかなと思うけど、まずは自分がたのしい方向に。新しいサイズのスケッチブックも買ったことだし、いろいろ試していこ!次のお給料が入ったら、ボールペンも一新したいしね。

次のお休みにはお絵描きはもちろん、交換ノートやお手紙を書いたり、映像を見たり、シーツを干したり、おいしい紅茶を飲んだりしたいね。心身ともに健康になってこ〜!

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下記は だから僕は音楽を辞めた、とコラムのリンク。それと書きながらずっと聞いていた曲。だから僕は〜の初回限定版がパッと見た限りでは正規の価格では売られておらず残念。大事にしよう。

ヨルシカ/だから僕は音楽を辞めた<通常盤>

いつも見てくれていた人がジャンルを去った。でも「描く理由は何だって良い」/カレー沢薫の創作相談

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絡めた指先が 祈りを意味しても 縫い目から溢れた後悔がさんざめく